【特別寄稿】
天御祖神が導く資本主義の未来

なぜ今「徳ある経済」なのか

HSUバイス・プリンシパル 兼 人間幸福学部ディーン 黒川白雲

黒川白雲

(HSU新聞「天使の梯子」120号より)

現代の資本主義は、利益の追求を最優先としてきたが、その弊害として、「マネーゲームの加熱」や「実体経済(ものづくり)の衰退」といった問題を引き起こし、多くの行き詰まりや経済停滞を生んでいる。こうした中、私たちが立ち返るべき原点がある。古代文献『ホツマツタヱ』に受け継がれてきた日本の根本神・天御祖神思想には、徳ある経済成功の教えまであったようだ。

減量の経済学
『減量の経済学』(大川隆法著)には、神の心に適った経済と富の考え方として「天御祖神の経済学」が収められている。

「施しに頼らず自ら働く」
――勤労の精神が支える国の基盤

まず注目すべきは、徹底した勤労の精神である。『ホツマツタヱ』第13アヤ(章)にはこう説かれている。

「この世にありながら、自らの労働に励むことなく、他人がその労働によって生み出した宝(富や食糧)をただ乞うて食べる犬のような生き方こそ、天の罪である」

また、第16アヤには、「民のなす労働は、たとえ身を粉にして過酷に働いたとしても、心が素直で前向きであれば、生命のエネルギーが盛んに湧き出し、豊かな子宝を得るのである」とある。

他人の施しに頼って生きるのではなく、自ら働くことが大切という「勤労の美徳」を説いているわけだが、これは政府の支援ばかりを求める近年の新福祉主義への警告にもなる。

富は「預かりもの」
――未来への投資

次に、『ホツマツタヱ』が示すのは貯蓄・投資の本質である。第13アヤでは、「富を単に蓄えるだけでは塵や芥の如く無価値である。未来の人材のために使う」ことの重要性が説かれる。

ここには、「富は預かりものである」という思想がある。すなわち、富裕層は富の所有者ではなく管理者であり、その使命は教育や技術、公共善への投資を通じて未来を育てることにある。この考え方は、資本主義の健全なあり方(徳ある富の投資)を示唆している。

「ナガサキ」の精神
――徳ある人が上に立つ社会

さらに重要なことは、徳ある人物が上に立つ社会という統治原理である。『ホツマツタヱ』によると、指導者は「我よりも汝を先に」という「ナガサキ」の精神を備え、民を導く存在でなければならない。また、民は「アオヒトクサ」と呼ばれ、天御祖神の「ワケミタマ」として尊い存在と位置づけられている。そこには、「力による支配」ではなく「徳」を基盤とするリーダーシップのあり方が示されている。

二宮尊徳へと結実した
日本的資本主義の完成形

こうした『ホツマツタヱ』に示される天御祖神の教え――勤労、推譲(未来への投資)、徳――は、日本社会の深層に流れ続け、近世において一つの完成形に到達する。それが二宮尊徳の報徳思想である。「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」という思想は、まさに『ホツマツタヱ』的世界観の現代的表現である。すなわち、「徳と富の統合」こそが日本的資本主義の本質なのである。

仏教と共鳴する
天御祖神の思想

注目すべきは、これらの思想が仏教と深く共鳴している点にある。人間はすべて分け御魂であり、仏教でいう「仏性」を宿す存在であるという「人間観」。欲望(シヰ)を制御しつつ本質(タマ)を輝かせるという「修行観」。そして、慈悲に基づく統治という点における「転輪聖王」思想との一致。

このことは偶然ではなく、霊的観点から見ると、主エル・カンターレの教えが天御祖神の教えとして日本で説かれ、その後、民族神によって形骸化したために、釈尊の教えという形で再び日本にもたらされたものだと考えられる。

「徳ある経済」が
世界を変える

経典『減量の経済学』第2章「天御祖神の経済学」には、「富を生み出すことのできる人が、道徳的にも人々を導く存在となるような教育や道徳、習慣の中で社会が運営されていくべきである」とある。

今、日本は「天御祖神の経済学」の下、経済再生にとどまらず、「徳ある経済」を実現する世界のリーダーとしての役割を担うことが期待されている。私たちは、まさにその歴史的転換点に立っているのである。